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福島原子力発電所の事故が起こって以来、自分の頭の中で浮かんでしまって消えない昔ならった数学の話。

高校数学の確率の初歩中の初歩の話に、「期待値」の概念がある。あるゲームが報酬を伴う場合、起こりうる事象をすべてを羅列して、(ある事象が起こる確率)に(その事象が起こった時に得られる報酬またはコスト)をかけて、すべて足し合わせると期待値になる。

たとえば、さいころを振って出た目の金額がもらえるとすると、その期待値は

期待値 = 1*(1/6) + 2*(1/6) +3*(1/6) +4*(1/6) +5*(1/6) +6*(1/6)  = 3.5

となる。なのでこのゲームに胴元がいて、ゲームに参加するのに1回あたり 4 の参加費を取るとしたら、胴元の期待収益は

胴元の期待収益 = (ゲームの回数) * 0.5

となる。理論上は大体儲かるという計算になる。こういうゲームであれば、想定外の確率で偏った目が出ても、「損失は有限」で、ある程度の留保を持っていれば胴元が破産することは少ない。たいていのギャンブルの胴元は大損をしないようにこういう計算を徹底的に行うだろう。

しかし、胴元が計算理論上は無限大の損失をこうむって破滅してしまうのに、99.9 %以上は儲かるゲームというのがある。まずは、以下の簡単なゲームを考えてみる。
東京では節電が続いている。

震災の原子力発電所の事故の影響で、電力供給の不足はこれから先も恒常的に続くことが確定的になっているので、この状況はこれから先、最低でも1年程度以上は続くことになるのだろう。

4月に入って、東京を少し離れる用事があり、その後戻ってきたときに、薄暗い東京を歩きながらしみじみと感じたことがある。それが表題のとおり「はてしない物理的な明るさが東京の価値だったんだな」ということである。
4月11日付の読売新聞の編集手帳に、2001年のアメリカ同時多発テロの11日後、当時のニューヨーク市長であったジュリアーニ氏がどのような発言をしたかが記されている。

「普段通りの生活をしても、死者を悼むのを()めたことにはならない。犠牲を無駄にしないため我々がまずできることは、普段の生活を取り戻すことだ」

一方、今回の未曾有の大災害において、東京のリーダーは公然と花見をすることを自粛すべきと発言し、節電担当大臣はプロ野球の早期開幕を「商業主義」と説教をし、物理的に開催可能であるはずのセリーグの開幕を遅らせた。

これこそが、「自由主義経済社会」を選択している国としての成熟度の違いだ、と感じざるを得ない。
個人的にプロ野球問題などで感じた違和感や不気味さがまだ消化できないでいて、全然論理性がないけれども、思いついたことをとりあえず忘れないように記録。

震災後の混乱した状況の中でも、日本の民主主義の「世論」というのが、人口の大半を占める生産性の低い「サラリーマン」や何の生産的な活動も行っていない「主婦」や「年金生活者」による多数決できまるのだな、ということにいまさらながらながら気がついて、ちょっと愕然としたりもしている。

「震災後の東北の光景は戦後の光景にそっくりだ」

と80歳近くの年配の方が言うのもときどき耳にする。しかし、物理的に見える光景はそっくりでも、人間のメンタリティの部分ではその当時と比べると相当に劣化しているのではないか、という印象を持つ。

なぜなら、終戦直後はまだ大日本帝国憲法下であり、憲法上の身分制度が明記されている時代で、それなりのリーダーとしての責任を持った人間が社会の各所にいて、「平民」どもの「物資の買い占め」や「自粛ムード」の下衆な行動に対して

「この平民どもが!!」

と言って渇を入れて、社会全体を正しい方向に導こうとする機運は多少はあったのではないかと思うからだ。

現在は、「サラリーマン感覚」や「主婦目線」などの「平民根性」世論に、「正社員サラリーマン」で構成される大手メディアも同調してしまっていて、それが作るムードによって国のリーダーも決まってしまっている。

結果、今の総理大臣は「市民活動上がり」の政治家だし、節電を担当する大臣はクラリオンガール上がりの本当に日本人と呼べるのかも分からないような主婦が就いている。

その節電担当の大臣が、たかだか平民の数千世帯・数時間程度の停電の「不便」に大いなる理解を示し、健全でかつ影響力の大きい営業活動を開始しようとしたプロ野球の経営者に対し「商業主義だと言われますよ」と平民根性に根ざした説教をし、何億円ももらって働いている使用者が「今はやりたくない」といって駄々をこねる行動を「素晴らしい行動だ」と言って絶賛している。結果、プロ野球は今まで以上に大きな経営問題に直面している。

やっぱり、不思議な光景だ。


プロ野球の開幕問題での、「世論」への違和感や気持ち悪さがぬぐえないままでいる中(関連記事①関連記事②)、昨日の夜、たまたまチャンネルを合わせたビートたけしがやっている情報番組がこの問題を伝えていた。

ビートたけしであれば、たしか巨人ファンのはずだし、東京ドームで試合をできないことによって経済的な被害をこうむる人がたくさんいることなどへの道理も分かっているはずなので、何かしら自分が感じているようなことに近いことを言ってくれるかもしれない、と思いしばらく見ていたが、世間の空気を読んだのか、そういった感じの発言は見られなかった。

その代わりにコメンテーターとして発言したのが三雲孝江だった。内容としては
「今、電気の停電でこれだけ我慢している人がいるのに、明々とナイターなんてねぇ・・・」
といった趣旨ことを、不快感を顔つきや態度で全面に押し出しながらコメントをしていた。

これを見て、やっと私も「ああ、そういうことなのか」と気付いた。

プロ野球セリーグの開幕問題は、世論や政府の要請にこたえる形で4月12日のセ・パ同時開幕が決定したらしい。大手メディアなどが伝えるところによると、現場や「ファン」からは「当然の決着だ」という声がほとんどだ、ということが伝えられている。

ひとつ前の記事に一応記録しておいたとおり、自分のような人間はそれが当然だとも思わないし、むしろそういう世間の風潮が「気味が悪い」と思っている。今回、世間の言う「当然の(常識的な)結論」に折れたことで、これから本当の経営的な存亡の危機に直面するのでは、という気がしてならない。

なぜなら、今回の決定は得体のしれない「世論」に対しては敏感に反応はしていても、プロ野球に直接的にお金を落とす「顧客」への対応がおざなりな感じがするからだ。
なんだか、セリーグが開幕を遅らせないことによって、大臣まで出てきて「世論」「空気」っていうものが一方向的に醸成されてて、ちょっと不思議な(というより恐ろしい)感じがするので、自分が感じる違和感をメモ。

ちなみに、私はプロ野球ファンでひいきの球団は西武(ファンクラブに入会して年に何回かは見に行く程度)。セリーグに関しては、アンチ巨人(&アンチ阪神)なのでセリーグは基本どうでもいいのだけど、何を理由に「開幕を延期しろ」という強い世論が形成されて「空気を読め」と怒っているのかがイマイチピンと来ていない。
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